モドル

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煙雲
 ̄ ̄ ̄

 指先が煙草の箱を探し出した。
 カルノはそれから1本取り出し、ライターで火を点ける。
 ゆっくりと上がる紫煙。
 ベランダに通じる窓は開け放たれて、そこに座る彼の煙は青い空へと流れて溶けてゆく。雲に似てるからでもあるまいに。
 リビングの内側ではささやかな茶会が開かれていて、紅茶とケーキの香りと人の温かい気配に満ちていた。
 彼は1人そこから離れ、冷たい風に身を晒している。
 風の冷たさを感じながら、見えない誰かに手を伸ばした。
 その温かさを半身に感じ目を向ければ、勇吹が紅茶とパウンドケーキの切れ端を持って側に来た。
「これ君の分。おかわりあるって」
「ん、サンキュ」
「どういたしまして」
 何気なく勇吹が灰皿に目を落とす。
「最近、増えてない?」
 カルノは深く息を吐き出し、煙草の煙を吐息と共に押し出した。
「かもな」
 頓着しない彼の様子に勇吹の眉根が軽く寄る。
「あんまり、体に良くないよ」
 心配と僅かな警告。
 彼の肩の向うで、レヴィとナギが寄り添っていた。レヴィの瞳に浮かぶ幸福と奥深く狂恋じみた光。それを見る度いつも、ひどく嫌な気分になる。
 カルノは灰皿へ煙草をねじ込んで、また指で箱を漁った。
「カルノ」
 強い声がそれを妨げる。
 フィルタを口に咥えようとしていたカルノは、険しくなった顔立ちを見据えた。
「今日、それで何本目?」
「数えてねーよ、そんなん」
 当たり前と言い放った彼から目を逸らして、勇吹はカルノの膝元にある灰皿に目を落とした。
 唇が声もなく吸殻を数える。
 カルノは黙ったままで勇吹の着ているシャツの襟を目でなぞった。彼から見て右の襟が歪んで、少しだけ、左肩が開いている。そのまま前の合わせ目を追って、ジーパンの縫い目を眺めた。縫い糸が何本の糸を縒って成ったのかまで丹念に数えていた。
「10本。それで11本目だよ。君が起きてから、……5時間だ」
 時計を見るのに身を捩った勇吹の襟が更に形を崩して、カルノはそれから極自然に目を逸らす。
 興味なさそうなカルノへ、勇吹は大きな溜め息をついた。
「前は何本も1度に吸ってなかったんじゃない?クセになるから本数は数えた方がいいよ。これ以上増えると良くないからさ」
「面倒臭ェ」
「じゃないの。それならこれ没収」
「あ、コラ横暴だぞてめェ」
「自己管理もできないくせに大口叩くなよ。今日の分はあとこれだけ」
 そう言って、カルノの右手を取ると、煙草を3本ぱしっと手渡した。
「……足んねー」
「何言ってんだよ、とっくに吸いすぎ。これでも十分妥協してるんですけどね」
 予想通りの不満だらけのカルノにわざとらしく目を眇め、勇吹は彼の側から立ち去って行った。その後ろ姿を眺めながら、カルノは指で手の中の1本を選り分ける。口に咥えて火を点けたら、紫煙が彼との間にベールを引いた。
 首を巡らし空を見上げた。
 白く薄く延びて空に溶けておきながら、高みへ上ってまた凝る。
 吐いた煙は雲のようだ。似ているから重なるけれど、煙は雨を落とさない。何かを生むのが雲ならば、何かの滓が煙だろう。
 煙は煙で雲ではない。
 視線を逸らした彼に見えるはずもないが、確かに視界の外では穏やかな時間が流れている。淹れ直された紅茶が勇吹の手を温めて、彼らは笑いあって心も温めているのだろう。きっと勇吹やレヴィがケーキを食べて、それから手放しでそれを誉めて、ナギを喜ばせている。

 似た女。

 彼女を恋う男の笑みとそっくり同じ笑顔を返す女。
 ただ狂恋の気配のない全てを了解した瞳のままで、似た笑顔を浮かべている。
 相手毎に『姿』を変える。
 似た女。
 気味が悪かった。
 男の笑顔を返す女は、想いもどこまで似せているのか。
 なら男のソレは、結局自己愛なんじゃないのか。
 くだらない、この煙の塵のような。

 和やかに進む茶会の中で、勇吹が少し滑稽で気の毒にもなってくる。
 大事な家族を失って、家族ごっこに付き合わされて。
 勇吹が見る影もなく様変わりしたのは、病院で死んだ奴らのためと同時に、全く違う。家族を失ったからだ。彼らが無事なら、多分それ程変わらなかった。
 靴、取りに行くって言った顔。
 置いていくと気にしながら、帰ることに安堵していた。
 勇吹にとっての問題は、そこからだった。
 滑稽で可哀想だ。
 大事な家族を失って、今周りを囲う奴らは、皆、どっかイカレてる。

 貴重な煙草を灰皿に置いて紅茶を含むと、もうとっくに冷め切っていた。
 冷ややかな空気に抱かれたパウンドケーキをフォークで切り分けてみれば、しっとりとした弾力が指に返り、ダークチェリーが外れて皿の上でころんと転がる。
 甘いと思いながらカップに手をつけると、紅茶と合って美味かった。
 ナギの淹れた熱い紅茶だったらもっと美味かったんだろう。
 カルノは煙草を咥え直した。




 信号が青になる。
 寒くなるとどうして地味な色が多くなるんだろうと熱もなく考えている頭は、その地味で暗い色合いの街で鮮やかに赤く映えた。彼の前を行く少年は髪も黒く服も地味に街に埋もれている。すっかりと波動で見分ける癖がついたカルノは、見知った波動を追ってのことか全く関係ないのか、見分ける目の理由を掴むことが出来なかった。脳裏に浮かんだ元凶に毒づく。
 目的があるらしい勇吹に付いて行って、ファッションビルのエスカレーターに乗った。
「カルノ、手袋するなら皮と毛糸、どっちがいい?」
「は?いらねーよ、ンなの」
「買おうよ、寒いじゃん」
「お前買えば?俺は持ってるし」
 2階に着いたエスカレーターを下りて、すぐに隣りのエスカレーターに乗り換える。
 スリング・ショットの皮手袋を指してしらっと言うカルノに勇吹は呆れた。
「あれ指出てんじゃん。ていうか、用途違うだろ」
「いいじゃん別に。どうせしねーんだし。面倒臭ェ」
「見てる方が寒い」
「我慢しろ」
 にべもない返答した彼は、本当にする気がなかった。うっとおしいとも思う。
 そんな彼を勇吹が実に何事か腹にためた目で見た。
「我慢……」
「……何だよ」
 3階で女性服に迎えられた彼らは、また隣りのエスカレーターに乗り換える。
「言いたいことがあんだろ?言えば?」
 胡乱な目で見られているのにそれこそ我慢ができずに言うと、その不貞腐れた顔から勇吹は上の進行先にあるプレートへと目を移した。
「やめとく」
「何で」
「分かってること言っても仕方ないじゃん」
 そっけない。
 言いたいことは確かに知ってた。

 我慢しない奴が人に我慢を強要するなよ

 ごちゃごちゃと押し付けがましいことを言わないのが、居心地のいい理由だろう。
 四六時中顔を突合せていた頃も、ちょっと面倒臭いこともあったけど、それ程嫌だと思いもせずに側にいられた。
 1人になりたければそこにいても1人になれたし、ふと見れば、1人でなくなることもできた。
 いつまででもいて良かった。
 エスカレーターは彼らを運び、下りた2〜3歩先で、勇吹が振り向く。
「それで、フリースもあるけど、どれがいい?」



 席に勇吹を置いたまま、カルノはトイレの扉を開いた。
 窓を開けて煙草に火を点ける。
 別に、美味いとも思わない。
 最初はただの興味だった。
 美味いと思わないのに癖になり始めた頃から、それが別の意味も得た。
 煙草は便利だ。
 単にぼーっとしてるより暇つぶしになるし格好もつく。口に咥えて煙を吐いて、時折灰を気にしてやればいい。それだけで、余計なことを考えることも、適当に切り上げることもできる。
 煙が立ち昇って空へ消える。
 空に浮かぶあれは雲か、それとも煙の集まりか。
 自分の視線がいつ頃からかイカレ始めて、触れたい手で煙草を探す。
 温かさに溺れているのか。
 手近なところで済ませたいのか。
 それとも何か他のもっと大事な?

 結局。
 何も生まないコレは、塵に過ぎない煙の方か。
 漂う煙が火元を指すなら、これを追えば何に辿り着くだろう。
 この気味の悪い衝動。
 最悪の事態の中で求められるのを期待してる。

 そんなこと、あるはずないのに。

 短くなった煙草の火を押し潰して消した。
 もう1本吸いたいけれど、今日の分はもうそれしかない。


「お帰り」
 窓を眺めていた勇吹が少し笑った。
「君、意外と喫煙マナーいいよね」
「あ?」
 何のことだと問う不審な顔に、勇吹は更に面白そうにした。
「自分から人のいないトコで吸うし。俺は結構君といる方だけど、まだ君が吸ってるトコ見たことないんだよね」
「別に見て面白ェもんでもねーだろ?」
「そうなんだけどさ」
 そういうことではないと思いながら、全く無自覚なのが勇吹には面白かった。
 これも彼の無自覚な気遣いなのか、煙草は隠れて吸わなければという無意識なのか分からないけれど、どちらにせよ微笑ましいことに変わりはない。
「あのさ、そんなに美味しい?」
「美味くはねーな。もうクセだろ、単なる」
「あー、やっぱ癖になっちゃうんだ」
「吸いてーの?」
「んーどうだろ。ただちょっと興味があるだけなんだけど、癖になったら困るし」
「それって術関係?」
「ていうより、君を注意できなくなったら困る」
「……あ?」
 怪訝に目を細めたカルノの当惑など気付かぬ風で、勇吹は彼にとっては当たり前のことを言った。
「俺まで癖になったら君に控えろって言えないだろ」
「……別に困ることじゃねーだろ、それ」
「困る」
 カルノは何でと問いそうになって、答えを知ってることに気が付いた。
 分かってること言っても仕方ないと勇吹は言ったけれど、分かっていても聞きたかった。
「あんまり、体に良くないよ」
 問う前に返る答え。
 笑いたくなって、指先が誤魔化すための煙草を探す。


 白い煙が風に散されて溶けて消える。
 会計を終えて来た勇吹がカルノの口元を見て、仕方なさそうにため息をついた。
 彼に気付いたカルノはそれを道路に落として踏みにじる。咎めを感じた訳でなく、勇吹が来たからもう用がなくなっただけだった。
「はい、忘れ物」
「やっぱメンドくせーそれ」
 忘れて来たことも気付かなかった手袋を渡されて、カルノは大きく眉を顰めた。
 けれどそんなことには慣れっこの連れは、
「持つのが嫌ならすれば?」
 などと、軽口か本気か分からない顔で言った。
 渡されてしまった以上カバンに入れる方が面倒臭くて、仕方なくカルノは手にそれをはめた。
 勇吹に買わされてしまった手袋は彼の手を誰かと同じ温かさで包みこむ。
 隣りで勇吹が笑んでいた。
 手袋をした手だけでなく腹にも熱が生まれていて、伝わる波動に頭の先から温まる。それでようやく自分が寒かったのに気付いた。でももう今は足の先まで温かい。

 なのに唇が、淋しいと彼に囁く。

 誤魔化すために、指が煙草の形を探した。
 指先に触れる煙草はなく、傍らに在るのは温かな人。
 空の上に薄く延びた白い雲。

 彼の吐いた白い煙は空のどこへ消えたのか。
 雲の中に紛れているのか。
 それならどちらも同じだろう。



 もう触れてもいいかと指が強請る。


 Yes , sure .




THE END.

執筆:栖月びぃ(Burn Bag B)

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