モドル


voiceless your voice





 カルノの機嫌が悪いのは、それこそいつものことだった。
 だから特別なにもなければ、放っておくのが常だ。
 明らかに拗ねているなら尚更。
 下手につつけば変な所に引っ掛かってこじれてしまう。
 本人が黙っているのに我慢できなくなるまで待った方が、原因を知るには手っ取り早かった。
 どうせそんなに持たないし。
 いつでも言えるように、側にいるだけで。

 空は暗い灰色で、雨が降りそう。
 外に出ない方がいいと思うし、カルノが不貞腐れて出て行ってしまわないようにしないととも思う。
 傘を持っていけと言ったところで、持っていくわけがない。
 生憎と探せる能力には恵まれてはいない。
 入れ違いになるくらいならまだいいけど。

「あいつ……便利?」
 突然口を開いたかと思うと、その言葉は意味不明だった。相変わらず要点のみだ。
「誰のことだよ」
 当然の質問だというのに、訊かれた方がそう思わないらしい。惚けてるとでも思ったのか、むっとする。やがて嫌そうにその名を口にした。
「レヴィ」
「レヴィさん?」
「そう言ってんだろ」
 イライラと返す彼の真意を測りかねて、だから勇吹は訊かれたまま答えた。
「その言い方はどうかと思うけど、頼りになるかっていったら、そうだね、なるよ。訊きたいことの答えを、全部持ってる感じがする」
「そ」
 自分から聞いたくせにそっけない返事を寄越して、カルノは勇吹に背を向けた。
 結局何が言いたかったやら。
 去っていく足音を聞きながら、勇吹は考え込んだ。自然と眉根が寄る。
 彼らの保護者レヴィ・ディブランとカルノの不機嫌。
 勇吹が彼と親しむのを気に食わないとか、そういう子供じみた嫉妬でもないだろう。怒ってるのでも責めているのでもない。
 だから、わからない。
 話してはくれそうもない。
 少なくとも、まだしばらくは。
 再び戻って来たカルノは、明らかに外出する気だった。上着を着こみリュックを背負っている。
「カルノ、雨降りそうだし、中にいたら?」
「まだ降んねーよ」
 投げ遣りな口調。
「ふ〜ん。どの辺行く?」
「知らない。適当」
「そう。気をつけて」
 止めるのも、ついて行くのも、拒絶されてるような素っ気無さだった。
 出て行く背中を見送る。
 ドアが閉まって見えなくなる。
 それからようやく、勇吹は外出の準備を始めた。
 玄関で傘に手を伸ばしてから、思い直してそのまま出掛ける。
 降らないと言ったんだし。


 こんな風に時間を置いて後を追っても、会える可能性は低い。
 会うとしたら、全くの偶然か、待っていてくれた時。
 偶然を期待するしかないようだ。


 理由が欲しいのだろうかと思う。
 カルノにはこのまま彼らと共にいる理由がない。
 レヴィは結局の所、彼に強制はしなかった。だからカルノが自分で作らない限り、あそこにいる理由はない。今はまだ、なりゆきのままで。
 それはいつまで有効だろう。
 決めなければならない。
 決められなくて、機嫌が悪いのか。
 理由がないから。


 空を見上げても、暗い雲から雨粒は落ちてこない。
 風使い候補だったとレヴィから聞いた。同時に劣等生でもあったらしいけど、今の所は当たっているようだ。
 目の端の赤色を追う。
 赤い飾り。赤い文字。黒から染めた赤い髪。
 世の中に赤は色々あったと思い知る。
 流石にポストは無視できるけれども、ショーウィンドウにも誰かの髪にも、あちらこちらで使われている。見つけたい色は中々目に映ってこないというのに、何度も目を引かれる。その度にため息で終わる。
 いるのではないかと覗いた店もコンビニも全て空振り。欲しいと言っていたものはなかっただろうかと考えても、手に入れたか諦めたものくらいしか思い当たらない。一応それらを見て回ったものの、何処にも彼の姿はなかった。
 どうも駄目だ。会えないかもしれない。
 会ってどうなるものでなくても、傷ついても見えたから、放っておけない。
 何でもいい。話す気になった時に、側にいたいだけ。
 自分の考えに、違うな、と呟いた。
 言う気がなくても、側にいたいだけ。



 風が水を含んでる。
 雑踏を歩きながら、カルノは空気の匂いを嗅いだ。
 雨が近いのか。
 相変わらず彼に天気予報はできず、当たるかどうかも怪しいものだ。
 魔法使いになれという。
 魔法も、魔法使いも、大っ嫌いだ。虫唾が走る。
 レヴィの言うように魔法使いになって規律とやらもそれなりに守ってた方が利口なんだろう。それくらいは分かっていた。分かっていても、考えてしまう。
 何のために?
 生きるために?
 自分を殺して生きるために?
 何で?
 答えは出ない。
 薄暗い中、誰の顔もハッキリしない。明るくてもどうせ見ないけど、いつにも増して顔がない。
 道路にフォグランプが溢れ出す。信号が明るく灯った。
 本格的に降るかもしれない。
 マンションに戻るのも気が重かったが、濡れるのは面倒だ。昼頃なら雨宿りでも良かっただろうけど、日が落ちるばかりの今頃じゃ、止む当てもない。
 中途半端な気分が余計に気を重くした。
 時々。
 理由なんて、なくていいんじゃないか、と思う。
 何のためにじゃなくても、いいんじゃないか?
 側にいたいだけじゃ駄目なのか?

 何もできないくせに。

 マンションに近付くに連れて焦燥が強まる。
 アスファルトに染みが1つできた。
 勇吹の痛みと望み、その深さ。全部知ってるのに、カルノにはどうにもできない。側にいても手をこまねいているだけで、何一つどうにもできなかった。今でもそうだ。
 目が見えなくなったりしなくなった。立ち直った。自然に笑えるようになった。必要な知識を身に付けようとしている。戦い方を知ろうとしている。
 その全てに、俺は一体何をした?
 側にいただけ。
 ただそれだけだ。
 必要なのは、理由じゃなくて自分の価値。
 勇吹にとっての必要性。

 何も、できないくせに。

 ドアを開けると、雨はついに降り出した。



 流石に暗くなってきてからは勇吹も諦めて、マンションに戻ろうかと市街地を出た。それでもまだもう少しと後ろ髪を引かれた。どうしようかと思案に暮れてうろうろしてると、終には降り始めてしまった。
 じっと手を見る。
 傘はない。
 そしてコンビニがどこにあるかも分からない。
 困った。
 などと呑気に困っている間にも雨は降り続く。
 強まる雨に走って帰ることも諦めて、勇吹は手近なマンションへと走った。そして雨宿りを決め込む。
 1階のほとんどを駐車場化したマンションは、中は蛍光灯が頼りなく瞬いている。コンクリートが寒々しく、少しとはいえ雨に降られた勇吹には冷え込んだ。軽く身震いをする。
 空を望めば真っ黒な雲で覆われ、そうすぐに止みそうにもない。夜が来る前には覚悟を決めなければならないだろう。
 勇吹の唇から嘆息が洩れた。


 理由が、欲しいのだろうか。

 またそのことが頭に浮かぶ。
 理由をあげるのは簡単だった。

 側にいて

 そう言えばいい。
 言わないけど。
 言ってしまえば、きっとまたいてくれるんだろう。
 今のカルノには当てはない。だから別に嫌がりもしないだろうとは思う。特に気にせずにいてくれる気がする。
 そうしてこれから先、それを守ろうとしてくれるだろう。
 そういう奴だ……と、思うんだけど。
 言うつもりはない。
 決して言わない。

 そんなのはご免だ。

 嘘偽りのない気持ち。
 側にいて欲しくないのかと言われても
 そりゃいて欲しいでしょう。
 でもね 



 降り止む気配は全くない。
 暗くなるにつれて益々激しさを増してきた。これ以上待っても無駄か。雨粒が黒い。景色の色だ。
 時計を見れば既に夕暮れにはなってる時間。もう夜はそこまで来ている。そろそろ覚悟の決め時か、と勇吹は息を吸い込んだ。
 その時突然、黒い物体が水とともに飛び込んできた。
 思わず身を庇った勇吹の手首を、濡れて冷たい手が掴んだ。
「何やってんだテメェは」
 赤い髪の先から、白い顎の先から、透明な粒がぽたぽた落ちた。
 無機質な電灯がむしろ優しげに見えた。
 灯りに晒されたカルノの姿を見て、勇吹の目が丸くなる。
「君こそ、どうしたんだよ」
 全身を雨に浸したカルノには濡れていない所がない位だった。
 持ち合わせは生憎ハンカチしかなく、それを手渡した。
「別にいい。ここまで濡れりゃおんなじだろ」
「そうかもしれないけどさ、風邪引くよ。ともかく上着脱げよ。俺の貸すから」
「いいって」
「いいから。こんな時は雨宿りくらいしろよ」
 渋々と上着を脱いだカルノの動きが固まった。
 勇吹を凝視してから、彼は突如激昂した。
「…っカかてめぇ!!」
「何怒ってんだよ」
 眉を顰める勇吹をカルノは目を眇めて睨んだ。
「俺ァな、降ってく前にとっくに着いてんだよ。降られてんのはお前。呆けた事抜かしてんじゃねーバカ」
 カルノの言う意味を反芻して、勇吹は彼が迎えに来てくれたらしいことを悟る。
 しかし。
「傘は?」
 詰まるカルノに勇吹は呆れて目を細めた。
「それで俺ら、どうやって帰るの?」
 激しい雨音が無言の彼らの代わりに喚いた。 


「どうせ俺は役に立たねェよ」
「なにソレ」
 傘1本持ってこなかったことを責めたくらいで、どうしてそんな話になるのか。
 不貞腐れてるカルノを横目で見ながら、そんなに強く聞こえたのだろうかと考える。
 いつもの軽口のつもりだったけれど。
 そんなにまずい言い方でもなかったと思う勇吹の思索を破って、カルノが再び言葉を継ぐ。
「大体マンションに電話すりゃ良かったんだよ。そうすりゃアイツらが何とかしてくれんだろ?」
 言われてみればその通りだった。きっと彼らの保護者達は飛んで来てくれただろう。気が回らずに、すっかりと雨に濡れて帰る態勢に入っていた。
「そっか。そういえばそうだよね。思いつかなかった」
 本気で感心している勇吹の様子は、逆にカルノを驚かせた。
「お前、時々ものすげェ頭悪ぃのな」
 心底本音で言われても、決して嬉しいことではない。
 腹を立てた勇吹は、それでも抗議はできなかった。
 カルノが笑った。
 それだけで降参してしまう。
 会話を無くしたままで、彼らは降り続く雨に閉ざされていた。
 段々と暗くなっていくけれど、特に焦りも不安もなかった。満たされた気配すら感じて、勇吹は自分の心のありようを訝しむ。
 街灯が点いた。
 ばしゃばしゃアスファルトに叩きつける水の音。
 カルノが髪から首へと滑る雨水を手で拭った。
 不意に気付く。


「雨ってさ、別に嫌いじゃないんだよね」
 脈絡のない語りかけを、カルノは瞳で問いただす。
「濡れた後始末が大変だけど、降り込められるの自体は特に。やけに綺麗に見える時もあって、つい見入っちゃうこととかさ」
 カルノの説明が要点過ぎて分からないように、勇吹もまた、時として要点から離れすぎて意味を窺いとるのが困難だった。今がまさにそうだ。
「カルノは?」
 話を振られてみても、返す言葉に窮してしまう。考えた事がなかったからだ。
 雨が降っても面倒臭くて出歩く気にならないだけで。
 ただ、風も強い日は、心が騒いだ。
 でもそれは言う気がしない。
「あんま好きじゃない」
 だからそれだけを答える。
 何故か勇吹が嬉しそうに笑う。 
「止まないね」
 何が言いたかったのか。
 それきり勇吹は黙ってしまった。
 ずっと側にいただけの自分よりも、多分彼らの方が勇吹を知っている気がした。こんな時にも戸惑ったりせずに、言ってることが分かったのかもしれない。
 カルノはただ、勇吹に側にいるだけだった。
 他には何もできない。
 それでも嬉しそうに笑うから、まあいいか、なんて。
 助けにもなれず約束もない。
 いつどこに行ってもいい。
 どこでもいいなら何処に行こうか。
 勇吹が、いる処といない処。
 もうそれだけしか違わない。
「止まないな」
 ただ側にいるだけでいいのなら。
 勇吹が頷く。


 流石に気持ち悪いのか、カルノがハンカチで顔を拭った。それだけで薄い生地の大半を濡らしている。首や腕まで拭き取った後はもうぐちゃぐちゃだった。始末に困ったカルノからそれを受け取った勇吹は、リュックについた外付けの防水ポケットに入れてしまう。
 風はなく、ただ雨だけが激しく降っていた。
 水の匂いがする。
 ほんの1m先の外からも、ほんの数十cm横からも。
 ここにいる。

 側にいて欲しくないのかと言われても
 そりゃいて欲しいでしょう。
 でもね


 決して君に縋りつかない。

 何の義理もないままで、何の束縛もないままで
 君の気持ち、それだけで

 俺の側にいて欲しい。

 いたくないならいないよね。
 いるんなら、いたいんでしょう。 
 ただそこにいる、それだけで、君の気持ちを教えてくれる。
 そう常に。


 約束は欲しくない。


 今ここにいるカルノの肩に、髪から雫がポタリと垂れた。
 ポタリポタリとその度に体温で乾きつつある服をまた濡らす。
 意地を張らずに勇吹の渡した上着を着てしまえばいいのに着ようとしない。
 顔に掛かった濡れ髪を不快そうに掻き揚げた。
 確かに不快なのだろう。
 そんなこと、最初からわかっていただろうけど。
 折角濡れずに済んだのに、また外へ傘も持たずに出たっていうのは呆れるけど。
 それが嬉しいのは何でだろう。


 ――ひと時も空けずに?


 苦笑する。
「どうした?」
 勇吹は不審げに問うカルノへ何でもない顔で答えた。
「自分の事ってさ、案外わかってないよね」
 肩を竦めたカルノを横目に、勇吹は深く呆れた。
 


 俺って結構欲張りだったんだな。


 知らなかった。




 The end.



執筆:栖月びぃ(Burn Bag B)

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