モドル

┠─ D o o R ─┨




 風が窓を打ち鳴らす。
 キッチンの戸棚からチョコチップクッキーの箱を持って出て来るや否やのその大きな音に、勇吹は思わず足を止めて窓の外を眺めた。
 外はもう薄暗い。
 それは単に夕刻に近付いているせいばかりではない。
 雲の色が、いずれ遠くない未来に雨が降るよと教えている。
 まだ猶予はあるものの。
 箱を開けて内袋を破り、中から薄っぺらなプラスチックのトレイを引く。
 耳障りなその音が止むと、窓も少し静かになった。
「カルノ、コーヒーにミルク要る?」
 菓子皿にクッキーを並べながらリビングの方にも聞こえる声を張り上げた。
 響いた問いは、答えの返ることなく掻き消える。
 風の音もそう煩くはない。
「カルノ?」
 見ると、窓の外を向いたまま、TVの前で座っている。
 手にビデオテープを持ったカルノはビデオデッキを忘れたように窓の外を眺めていた。
 翔け去る雲の流れ。
 揺れる電線。
 軋むビルの窓ガラス。
 何処かの家ではカーテンが閉まり、代わりに点く電灯の明るさ。
 忘れられたこちら側。
 勇吹は口を噤んで、クッキーの箱を片付けた。
 カップに注いだコーヒーを、ブラックのままトレイに乗せる。
「たっだいまー」
「外、凄い風だよ」
 風で玄関ドアが勢い良く閉まり、思いも掛けない騒音を撒き散らす。
 勇吹は大きく反応したカルノを目の端に捉えたが気にした様子を見せずに、帰宅した同居人達を出迎えた。
「お帰りなさい。ホント、凄い風みたいですね」
 風対策なのか、三つ編みにされたナギの髪が、それでも形を崩している。
 彼女は穏やかな屋内に戻った途端、用済みとばかりに髪を解いて、レヴィ共々乱れた髪形を整えた。
「精霊達も大はしゃぎだ。夜、降るぞ」
「魔法使いでなくても分かりますよ、これは」
 少し前にこんな会話があれば相当のマニアだった。
 それが当たり前に出てくるのが何だか可笑しい。
 少し笑った。
「イブキ、俺にも1杯欲しいな。姫は?」
「うん、私も」
「じゃ、これ飲みます?」
 ダイニング・テーブルで腰を下ろした2人にトレイからコーヒーを渡し、勇吹は新しく淹れ直す為にコーヒーメーカーに向かった。
 その合間にも様子のおかしいカルノを窺う。
 俯いていた。
 TVもビデオデッキも相変わらず放置され、見る気配すら無くなったテープが、筋の浮いた白い手で掴まれている。
 フィルターを通して落ちる黒い水が、砂粒よりも遅く時を刻む。
 離れてはいけない気がするから、まだ側には行けない。
 コーヒーで体を温めたレヴィの唇が安堵の溜め息を落とす。
「本当に風強いよね。窓、何かした方がいいかな」
「ってお前。全部の窓に修復魔法を掛けて回るつもりか?」
「うん、そうだけど」
 会話を耳に入れた勇吹がつい苦笑する。
「普通はまず板を打ち付けるとか考えるもんだけど。流石に把握してるね、ナギさん」
「まあ、この男はなぁ」
 可笑しそうに笑うナギを横目に、レヴィはその手を初めて聞いたと目を開く。
「板?」
「そ」
「役に立つの?」
 心許なげなレヴィを2人で目を見合わせて笑う。
「戸締りだけしてたらいいと思うぞ。台風でもない限り、日本の嵐は可愛いものだ」
 そういうものかと彼女の言を信頼しきって聞いているレヴィをナギはくすりと笑い、視線を別へ流した。
「台風にしても……香港程じゃあない」
 レヴィの視線も後を追う。
 ナギとは異なり気遣わしげな色があった。
 カルノの双眸が俯いた陰で険を帯びる。
 ただ1人、勇吹だけが知らず、純粋な興味で問い掛ける。
「香港って、そんななんですか?」
 勇吹を見るナギの目が笑っている。
「凄いんだ、コレがまた。台風にも地震みたいなレベルを付けてて」
「へえ」
 会話の隙に目に映ったカルノは、瞳の縁を露わに、勇吹を凝視していた。
「何?」
 我に返る。
「別に」
 取り付く島もなく言い捨てると、一緒に観る筈だったテープを放り、TVとデッキの電源を手早く消してしまう。
 口元を引き結んで誰とも視線を合わすことなく、足早にリビングを後にした。
 その背を見送った方に、沈黙を落とす。
 吹き荒ぶ風が轟音となり、ガラスを通して耳に響く。
 腹にかもしれず、胸かもしれず。
 響き渡る。
 広がる、コーヒーの香り。
「イブキ」
 情のない優しい声音。
 長い髪の女は同情や慰めではなく、羽根が触れる程の存在を示して独りの淵から救い出した。
「知りたいか?」
 今はもう見えない背中を追い、その向こうにある見慣れたドアを思い描く。
 客間と銘打った誰かの居室に至るドア。
 彼の姿はそこへ入り、毛一筋の隙間なく閉じられた。
「うん」
 コーヒーメーカーからサーバーを引き出し、新しいカップに注ぐ。
「カルノが教えてくれるならね」
 チョコチップクッキーを盛った皿の隣りにコーヒーカップを並べ、トレイを両手で持った。

「姫、意地悪だね」
 真意を探る恋人を、彼女は微笑んで見詰めた。
「これでも優しくしてるつもりなんだが」
 自分勝手になれない彼らの為に。



 ドアがある。
 これより先は彼の領域。
 踏み荒らしてはならない場所。
 息を整えた。

 ノックする。

「カルノ、入っていい?」
 遠くで風が鳴っている。
 近くで湯気が昇っている。
 廊下は冷えて、少し寂しくて、とても暗い。
 電気のスイッチを見て迷う。
 点けたら安堵するのか。
 却って淋しくなってしまうか。
 迷って、ドアを窺った。
 もう1度だけ。

 トンッと叩いただけで、ドアが開いた。

「何?」
 外は薄暗くなってるのに、逆光でよく見えない。
 窓が煩く鳴っている。
「電気、点けないの?」
 沈黙。
「お前は?」
 顧みれば部屋よりも暗い廊下。
 人の事は言えない。
「何となく」
「……俺も。入れよ」
 部屋の電気を灯した。
 明るくて、ほっと息をつく。
 窓は相変わらず煩く鳴ってるけど、大して気にもならなかった。
 ベッドの端に背を預けて床に座り込んだカルノの隣りにトレイを置いて、カルノの顔が見える位置に座る。
「で、何か用?」
 コーヒーで手を温めている勇吹にカルノが問う。
 彼は手をつけようとしない。
「休憩しに来た」
「俺んとこに?」
「うん。嫌なら止めとくけど」
 勉強ばっかりしている勇吹を休憩と称してビデオに付き合わせようとしたのはカルノで、勝手に止めたのも彼の方。
 勇吹の顔を窺ったカルノは、手をコーヒーに伸ばして1口啜った。
「夜降るってさ。明日はどうなんだろ」
 映画を観に行く予定だった。
 レディース・デイだが男はサービススタンプを女の2倍貰って、何故だか男の方が得することになっている。
「ビデオ、明日観る?」
「明日んなったら決める」
 チョコチップクッキーを齧って寄越した返事は気乗りしてない。
 面倒臭そうなのはいつも通り。
 追い返すのも面倒だったのかもしれない。
 入れてくれた訳ではなくて。
 黙ると、窓の軋みが耳につく。
 意味のない会話だと互いに思ってるのに、何を話したらいいのか探しあぐねている。
 話なんかなくても別に、そこにいるのが分かるだけでいい。
 今は離れていてはいけない気がしてノックした。
 中に入れて貰って、中身のない会話で側にいる。
 いつもと同じで、いつもと違う。
 本当は話はあるんだけど。

 香港……て?

 どうして、俺を見てた?
 驚いて。
 怖いものから眼が放せないみたいに。

 影を感じて顔を上げると、指先が彼の髪に触れていた。
「カルノ?」
「ちょっと動くな。なんっか変な……色」
「え?白髪?ついでに抜いちゃってよ」
 指が選り分けるのを大人しく待った。
 頭皮が瞬間痛んで顔を顰めたが、擦ってる内に直ぐに消えた。
 抜いた髪をカルノがじっと見ている。
「……金色」
 呟きが漏れ、白い指先から金髪が1本流れていた。
 彼にとっては珍しくても普通のことが、カルノには別の意味を与えてる。
 伏せた顔は長い前髪に隠れ、胸を張り顔を上げてるのが似合う彼の姿の尽くを覆す。
「何で?」
 幽かな問い。
 勇吹でない誰かに問うていた。
「色素が足りなかったんじゃない?時々あるよ」
 何でもない事だと言っても、だから聞いていないんだろう。

 金髪の、人。



 知ってる。
 彼には誰かがいる。
 喪って尚、失われずにいる誰か。

 金色の髪。

 魔法嫌いな君が大事にしてるヘキサグラムのペンダント。
 刻まれた土星の魔方陣。
 魔法使い。

 香港。

 強い風。

 特別だと、言った。


 踏み荒らしてはならない場所。
 彼の聖域。
 勇吹に見えない唇が、忘れちゃ駄目ってことかと呟いた。
 風が窓を打ち鳴らす。
 響く音に掻き立てられる。



 ノックするドアを探しているのに、まだ見つからない。



THE END.

執筆:栖月びぃ(Burn Bag B)

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