モドル

┠─ Friend ─┨




 頭を動かし枕元に座る勇吹を見ると、怒っていた。
 キタブ・エル・ヒクメトの要塞にして、シェーラザード・ユタンの父親である芸術的(らしい)ネクロマンサーが築き上げた最高傑作を「食った」からだ。
 霊力の優れた者達が死して尚この世に遺した、記憶というエネルギーの渦を食った。
 そうすると言えば、勇吹に反対されて怒られるのは分かっていた。
 言わなければ、もっと怒られるのも知っていた。
 実際にそうなったら、結構派手に怒鳴られた。
 勇吹に怒られるのは嫌いじゃない。
 だから、要塞を食った事で体が動かなくなったと知れ、更に怒りを爆発させた時ですら、単純に嬉しかった。
 勇吹は、体にしろ頭にしろ、俺が損なわれるのが気に入らないのだ。
 笑ったら、反省が足りないとまた怒られた。

 体に力が入らない。
 「食った」のは3回目。
 今まではどうだったろうと考えた。
 前回は手足こそ自由に動いたけど、体を支えて立つのは出来なかった。まあ、髪で出来た手足だったんだから仕方ない。
 その前の、1番最初はどうだったのか。それがどうしても思い出せない。
 歩いて洞窟に逃げ込んだのか。それとも空を飛んだのか。空間を跳んだのか。
 だからもしかしたら、食った後というのは元々こんなだったのかもしれないし、全然違う状態なのかも分からない。
 ヤバいのだろうか?
 一応そんな風に考えてみる。
 でも結局、余り実感が湧いて来ない。

 側で勇吹が怒ってて、汗が浮けばタオルをくれて、喉が渇けば水を手に持たせてくれた。
 こんなに長く側にいるのは久し振りだと気が付いたら、また口元が綻んできた。
 しかも他に誰もいない。怒ってて、他の事を考えてない。
 独占している。
 他愛も無い自覚に、自分でも笑える位気分が良かった。
 それがますます勇吹の気に入らないようだった。
「イブキ、コーラ」
 無言で睨まれた。

 勇吹の両親を殺し、勇吹を傷つけ喪わせようとしている敵は、遥かに格上だ。
 今のままでも勿論、普通にやってたら絶対に勝てない。

 どうすれば勝算が上がるのか、ここで怒っている奴も知っている。
 だからこそ、密かに「食われるな」とアミィに命じていた。
 勇吹を守る力を手に入れる。
 そのためなら、俺は俺を賭ける。
 それも知ってる。
 自信家だと言ってやったら、きっと耳まで赤くなるんだろう。

 俺も知ってる。
 勇吹は俺を当てにしてない。
 誰の事であってもそうだ。
 普段は簡単に手を貸せと言うくせに、命がかかるような局面になると自分だけで対峙しようとする。
 他人に委ねるのは、せいぜいで補助位のものだ。

「アイツとやるのに、俺を外そうとか思ってねぇだろうな?」
 目を瞬かせた勇吹は、怒気を消して座り直した。
 どうせ自覚などない。表情がそれを裏付けていた。
 意識せずに人をシャットアウトしておきながら、そんな事は想像もしていないという顔をする。
「なんで君、そんなにやる気なの?」
「アイツ嫌い」
 勇吹が初めて笑った。
「俺も」
 だが、その呟きが終わると同時に笑みも消えた。光のない瞳を眇める。セリフでは同調しながら、視線は逸れた。ペンだこが出来始めている他は何の労働もしていない指が水差しを手に取る。コップに少量の水を注ぎ、手慰みに回していた。
 それを見詰めているのを勘違いしたのか、顔を上げた勇吹と目が合うと、手渡された。コップにストローも差し込まれる。
「これやだ。コーラ」
 眉を顰めて抗議しても、勿論勇吹は立ち上がる気配すらみせなかった。
 甘えを許し、ダメを出しても突き放さず、皮肉でさえ好意が常に含まれる。
 話す言葉も向けられる眼差しも心地良過ぎて、気付くといつでも側にいるようになった。
 離れるのは簡単だ。1人でどこにでも行って好きなようにすればいい。いつだって何処かへ行きたがるのは自分の方で、勇吹は留まるのを好む。だから戻るのも簡単。おかえりって言葉は割と気に入っている。
 アイツは嫌い。
 勇吹が泣いてた。叩き伏せるのを望んだ。
 敵。
 なら、ぶちのめす。
 自分でも笑えるほど短絡的で、実際笑った。

「なぁ、これって友達?」
 訊いた途端に勇吹が両目を見開き固まった。
 息を一つ呑むと、真剣な顔つきになって掌を額に押し当ててきた。
 言いたい事が解り過ぎる位に解る。自分でもらしくない事を言ったと解ってるだけに、余りにもなこの対応をどうしてくれようかと思った。
 とりあえず煩い手を払うと、指先が曲がらずぎこちなく持っていたコップから水が少し腹に零れて服が濡れた。余計腹が立ってくる。
 こちらの苛立ちなど頓着しない目が何事か思い悩むように眇められて、追い払った手を再び伸ばしてきた。頭が探られている。撫でられているのとも違う感覚が気に入らない。
「……俺の頭がどうしたって?」
 冷たく言うと、気まずそうな目でこちらを窺い、それでも不安だとばかりに勇吹は戸口を一瞥した。ここにいない誰かに助けを求めようとしている。多分レヴィ。それがまたムカつく。勇吹が誰かを頼ろうとする時は、大概あいつの方に行くってのを思い出してしまうからだ。
「別にどうかした訳じゃねぇよ。この間レヴィがそんな事言ってて」
 そう言った途端、なんだ、というように勇吹の表情が緩んだ。
「てっきり」
「何だよ」
「いや、まあ」
 空っとぼけた様子で天井の隅を眺めている。
 それを見詰めながら水を飲んだ。
 勇吹はようやく零れた水に気付いてタオルを手に取った。
 触れていた手が離れてしまったから、少しだけ考えて、ぐしゃぐしゃにされた髪に指を添える。
 指先に感触は伝わるものの、動きは自分の意志が発生してから何秒も遅れてジワジワ始まり、のろくさくて退屈だった。
 その間に勇吹はコップをテーブルに避けてしまうと、濡れた服の上からタオルを押し付け、零れた水を吸い取っている。動きになんの乱れもなく、この指がやっと不恰好に絡まった髪を梳きだしたのと対照的だ。
 気が付くと、動きの良くない指を勇吹が凝視していた。そしてまた、言いたい事が溜まってきた顔になってくる。
「食い過ぎて動けねーだけだろ?」
「軽く言うなよ。本当の事なんか君だって知らないくせに」
 大体見える程度で指を下ろしたら、やたらと疲れて脱力してしまった。そのため息を見咎められる。
 また何か言うかと思って見上げたら、勇吹の手が伸びてきた。
 乱れた髪を直していく。
 心地いい。
 瞼を閉じると、より強く感じられた。
 勇吹の指が髪を頭の後ろに流していく。地肌から額と眉を掠め、耳に触れ、首を滑った。
 くすぐったくなって喉を鳴らすと、指が震えて止まり、そっと離れていってしまう。
「イブキ?」
 目を開けると、勇吹は避けるように視線を外し、立ち上がった。水差しを手にとり戸口へ向かう。
「水持って来る」
 顔も見ないでそれだけを言った。
 水なんか要らない。そう言ったのに、まるで関係ない風で目も寄越さない。
 とりつく島もなかった。
 その態度に拒絶されたような気になって困惑した。
 突然の変貌についていけない。
 どうしてだと思うが、答えはないだろうというのは容易く想像がついた。
 それに理由はどうだっていい。ただ側で怒っていて欲しいだけだ。
 体が動けば、と思う。
 でもきっと追えないだろうとも思う。
 それともやはり追って行くのか。あと数歩の距離をおいて、立ち尽くすのか。

 戸口で、その姿が振り返る。

 思わず名を呼びそうになった口が、何も言えずに固まった。
 振り返った勇吹は、見たこともない顔をしていた。

 感情を全て隠しているような、他の全てを殺ぎ落とし、露わになった殺意のような、相反するものを重ねた双眸だった。

 瞬間、背が震えた。
 似たような顔なら見たことがあった。
 エディンバラの会議場で、日本の田舎の海岸で。
 それがどんな時のものだったのか。
 憎しみや不安も悲しみも、勇吹は全て隠そうとする。できなくてもしようとする。だからといって優しげな風情を装える程の嘘吐きにもなれなくて、却って抜き身の刃のように危うくなる。
 自分でそれが解ってるからこそ、勇吹は体ごと隠れたがる。
 でも他の誰から姿を消しても、側にいていい筈だった。
 求められもした筈だった。
 なのに何故、そんな眼を向けてくるのか。

「友達……とかさ、そういうの? 君から聞くとは思わなかった」
 勇吹は作りもののように笑んだ。
 応えられないでいるのにもお構いなしで更に笑みを深くする。
「君は一々そんなの考えてないだろうと思ってたんだけど、レヴィさんか。
 時々億面もなく恥かしいセリフ言うよね、あの人」
 だから照れて仕方ない、と呟く。
 唾を飲んで、渇いた喉を潤した。
 何か言わなければならない。
「レヴィは、お互いにどうとか、気色悪ィ事抜かしてたけどな」
「へえ? どっちにしろ俺達は友達でしょ」
「お前やっぱ生意気」
「なんで」
「俺がどう思ってるのか解ってる口振りじゃねぇ?」
 いつものような軽口が口を突いて出てくる。それが間違ってるのは解っていたが、ではどう言えばいいのかまでは解らなかった。

 追い詰められた気がする。

 なのに一方で、捕まえなければとも思う。

 頭の中身が消えてしまって、何かをすごく言いたいのに、どうしていいか分からない。何をしようとしているのか。
 頬に髪がかかる様も
 露わになった首筋も
 襟元がずれたせいで覗く鎖骨も
 脇腹も
 腰も
 脚も
 何より瞳の色が
 求めてでもいるかのように熱を帯びて見えた。

 勇吹は目を伏せると、僅かに苦笑した。
「解るよ。
 嫌いだったり興味ない相手を遊びに誘うようなヤツかい、君が」

 肯定するような言葉を、自分の口が言った気がする。

 それに勇吹が笑った。
「友達だろ、俺達は」
 止めのような笑顔だった。 

 自分で口にした事が、別の意味を持って返された。
 満たしていた物が呆気なく消失する。
 その余りの喪失感に呆然とした。
 目が離せなくなる。 
 頭の中は割れ鐘を打ち鳴らすように一つの名前を連呼していた。
 体が動かないのが幸いだった。
 でなくば、どんな馬鹿な事をしたか解らない。
 触れさえすれば届くような、捕まえさえすれば得られるような、そんな錯覚をしてどうしようもない馬鹿になる。
 こんな時に、勇吹の側にいられなくなる危険など、万が一にも冒すわけにはいかないのに。
 アークとの間に入り込んで、勇吹を守り、その手に代わってぶちのめす。
 そんな事すら頭から消し飛ぶ程の馬鹿になってた。
 理由が勝手に塗り変わっていく。
 必ず側にいる。1人でなど行かせない。触れさせない。勇吹の頭を占めるなんて許さない。

 馬鹿げている。

 枕に顔を押し付けると、僅かばかりの冷ややかさにほんの少しだけ頭が軌道を戻した。 

 友達。
 レヴィが言い、勇吹が肯定した。
 なら、そういうもんなんだろう。
 だったら。

「じゃあ、そんなに怒るなよ」
 くぐもってしまった声を聞き咎め、勇吹が溜め息をついた。それに何故か安心して目を上げると、何とも言えないような仏頂面をしてこっちを見ていた。
 名を呼びたくなって口を開き、結局やめた。
「コーラ」
「カルノ、俺は怒ってるんだよ。だからこれしかあげない」
 勇吹はにべもなく返しながら、水差しを掲げて見せる。その顔が僅かに和らいでいた。
 近付いたのか遠ざかったのか。
 判断するのも億劫だった。
 目を閉じると、心地いい波動が届く。
 それは暫くそこで案じる気配をみせて立ちつくし、やがて遠ざかって行った。
 ずっとずっと離れていく。
 だが食い尽くされた要塞にはもう邪魔するだけの力などなく、追い縋るように味わい続けるのは簡単だった。
 脳裏に虚像が絶えず浮かぶ。



 勇吹。
 ハイスクールにいた友達とやらが、もしも俺と同じものなら、二度とお前に会わせたくない。



THE END.

執筆:栖月びぃ(Burn Bag B)

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